渋沢栄一を知りたければ深谷へ行け!生家・記念館・誠之堂の詳細とアクセスは?

渋沢栄一

政府は2019年4月9日に一万円・五千円・千円の肖像デザインと五百円硬貨を2024年に刷新すると発表しました。

新元号「令和」発表でざわつく日本国民に対し更なる一手を打ってきました。

 

 

新紙幣のデザイン、意外と古臭くね?。万札から諭吉さん消えるとか、改元以上に違和感覚えそう。

新紙幣ダサい

新元号は割と好意的に受け止められてきましたが、新紙幣の評価は散々なようです。

そもそも北里柴三郎さんは知っていますが、渋沢栄一さんと津田梅子さんは私の知識不足なのかもしれませんが、全く知りません。

「国民に広く認められていること」ってどう?みんな本当に知っている??

という訳で新一万円のモデルになる渋沢栄一さんも「1諭吉」みたいに「1エーちゃん」とか「2エーちゃん」とかきっと言われるのでしょうね。

そして渋沢栄一さんゆかりの地の埼玉県の深谷市がこれからのホットスポットとなりそうです。

何故なら深谷市には渋沢栄一の生家や記念館、そして渋沢栄一の喜寿を記念して世田谷に作られた誠之堂を解体しここ深谷市に移築し国の重要文化財となっているからです。

そこで今回は深谷市をめぐって渋沢栄一ゆかりの地を訪れてみたいと思っている方はぜひご覧ください。

この記事を読んでわかる事

渋沢栄一にゆかりのある施設は深谷市には何がある?

渋沢栄一生家

渋沢栄一記念館

誠之堂とは

スポンサーリンク

目次

深谷市には渋沢栄一ゆかりの施設は何がある?

 渋沢栄一生地

 渋沢栄一記念館

 誠之堂

これら3つが深谷市で主な渋沢栄一ゆかりの施設となります。

渋沢栄一生家

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」は、渋沢栄一生誕地に建ち、栄一の妹夫妻によって明治28年上棟された建物です。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に頻繁に立ち寄り、寝泊まりした場所です。
渋沢家の住宅として使われていましたが、昭和58年より「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され多くの外国人留学生が学びました。平成12年の同法人解散に伴い深谷市に帰属しました。
県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡。

引用元:渋沢栄一デジタルミュージアム

住所:深谷市血洗島247-1

アクセス:JR深谷駅からタクシーで約20分

開館時間:午前9時~午後5時

休館日:年末年始

入館料:無料

駐車場:あり

解説員:無料ですがしばらくは混雑するので予約が必要かも

Left Caption
住所が「血洗島」ってすごいこわそうな地名だね
Right Caption
島でもないのに島とはこれいかに?
Left Caption
駅からはかなり遠いいのでタクシーが便利
Right Caption
入館料無料!!
Right Caption
しばらく混雑しそうだね
Left Caption
青淵塾渋沢国際学園にはあのウィッキ―さんもいたそうです。wikipediaさんではありませんよ。

車のアクセス

関越自動車道本庄児玉ICから約20分

渋沢栄一記念館

住所:埼玉県深谷市下手計1204

アクセス(バス):JR深谷駅北口から約30分(深谷市コミュニティバス・くるりん北部定期便(乗車定員12名)「渋沢栄一記念館」バス停下車すぐ)

アクセス(車):関越自動車道花園ICから約40分/本庄児玉ICから約30分

開館時間:午前9時~午後5時

休館日:年末年始

入館料:無料

解説員:無料ですがしばらくは混雑するので予約が必要かも

近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売・養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。
20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取りを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。
一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官します。栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わったといわれています。また約600もの教育機関・社会公共事業の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。

引用元:渋沢栄一デジタルミュージアム

銅像は「えーちゃん」と思われ今朝のニュースでもこの銅像前で記念写真を撮っている親子がいたように土日祝日は撮影スポットとして行列が出来るかもしれませんね。

先ほどの渋沢栄一生家(中ん家)からは300m位しか離れていません。

渋沢栄一記念館車のアクセス

誠之堂

誠之堂は、大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築されました。
渋沢栄一は、深谷市に生まれ、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、日本の近代経済社会の基礎を築きました。その拠点としたのが第一国立銀行でしたが、明治29年、同行は第一銀行となり、栄一は、その初代頭取を務めました。
栄一は、喜寿を迎えるのを機に、第一銀行頭取を辞任しましたが、同行の行員たちが出資を募って誠之堂を建築したことには、栄一が行員たちから深く敬愛されていたことが伺われます。
平成15年5月30日、国の重要文化財に指定されました。


引用元:渋沢栄一デジタルミュージアム

住所:埼玉県深谷市起会110番地−1

開館時間:9時~5時

休館日:年末年始

観覧料:無料

 

大寄公民館の奥に誠之堂がありますのでここから入るようにしましょう。

実はこの誠之堂非常に凝った装飾品が多数あります。

ただ漠然と観覧するのではなく何故この誠之堂が国の重要文化財になっているのかをしっかりと見ていただきたいと思います。

深谷市のホームページに詳しく載っています。

 深谷市ホームページ

この誠之堂は世田谷で渋沢栄一の喜寿を記念して作られたものであることから暖炉の背後の北側煉瓦煙突部には煉瓦で「喜寿」の文字があったりするので是非探してみて下さい。

渋沢栄一ゆかりの地を訪れる為に埼玉県深谷市で宿泊施設をお探しの場合に参考にして下さい。

スポンサーリンク