宝田明まぼろしの地満州で死亡しかけた壮絶体験

満州

2019年夏公開映画「ダンスウィズミー」で主人公の静香(三吉彩花)に「音楽を聴くと、歌わずに、踊らずにはいられない」催眠術をかける怪しい催眠術師マーチン上田役を演じるのが日本映画界のレジェンドの宝田明さんです。

宝田明さんと言えば何と言っても映画「ゴジラ」の第一作目から共に歩み日本を代表する作品へと押し上げた功労者でもあります。

宝田明さんは幼少期満州で過し、命からがら日本に引き揚げる壮絶な体験をしています。

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満州って何?国?
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満州って何処にあったの?
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どうして外国に日本の国が?
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宝田明さんが死亡しかけたってどうゆうこと?

など疑問をお持ちの方はいるのではないでしょうか?そこでこの記事では

この記事を読んでわかる事

満州って何処にあった?

何故日本人が満州に?

宝田明さんは満州で死も覚悟するような壮絶体験

 

以上の内容となりますので、最後までご覧ください。

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目次

満州は何処にあった

現在中華人民共和国において「中国東北部」と呼ばれる地域およびロシア連邦において「極東」と呼ばれる地域の一部を含めた北東アジアの特定地域を指す地域名。

引用元:wikipedia

これが満州国がかつてあった場所になります。

わかり易く言うと韓国の北には北朝鮮があります。

その北朝鮮の北西部に位置していたのが旧満州国です。

そして下の図が現在の中華人民共和国(中国)の地図です。

旧満州国は現在の中国の遼寧省、吉林省、黒竜江省そして内モンゴル自治区の東部にありました。

でも何故日本人は満州に渡る事になったのでしょうか?

何故日本人は満州に?

1923年(大正12年)関東大震災による国力低下

1927年~1931年昭和恐慌における経済危機

政府の移民政策で豊な土地とされていた満州国へ(試験移民期)

1937年満蒙開拓青少年義勇軍編成で16歳から19歳の青少年を開拓民として満州へ送る

1941年太平洋戦争(第二次世界大戦)勃発

1945年日本敗戦宣言

敗戦と同時にソ連軍や中国から攻められ満州国が消滅

満州在住の民間邦人は推定約155万人。うち引き揚げたのは127万人で、軍民合わせて約24万5千人が命を落とす。

大体このような流れで満州国はわずか13年で消滅した幻のような国でした。

日本国民が日本陸軍に踊らされ、多くの日本人が夢の大陸満州国に渡るも、生きて日本の地を踏む事が出来なかった人はあまりにも多かったのです。

宝田明さんが死をも覚悟した壮絶体験とは?

宝田明さんは1934年に日本統治時代父親が朝鮮総督府鉄道に勤務していたことで朝鮮の咸鏡北道で生まれました。

咸鏡北道は北朝鮮の北東部に位置しています。

1934年と言うと日本国が満州に移民政策を進めた頃にあたり、2歳の時(1936年)に父親が南満州鉄道(満鉄)に転勤することから満州に移り住む事になります。

そして1945年日本の敗戦時は宝田明さん11歳と言う事になりますので、小学5年生にあたります。

5年生と言えば「サザエさん」のカツオくんと同じ年です。

日本の敗戦と共にソ連軍や朝鮮人や中国人などが武装し押し寄せ金品・生活物資などならまだしも、若い女性を連れ去るなど夢の国満州は地獄絵図のような無法地帯となります。

推定155万人もの日本人は混乱を極める満州を脱出するために満州鉄道で港をめざし、船で日本に向かう人達であふれることとなります。

無事日本行の船に乗れた人は幸運でしたが、逃げ遅れたものや、ソ連国境付近などの僻地に住む日本人や将校は強制連行のあげく強制労働を強いられ極寒のソ連の地で亡くなるものや、虐殺される方も相当な数にのぼります。

〈食事中の宝田家の社宅に無言で入ってきたソ連兵が、電熱器やラジオ、母親の化粧品まで盗んでいったこともあった。その兵隊の腕には盗んだ腕時計が何個もまかれていた。〉
「すると僕の後ろに立っていたソ連兵が、耳の後ろに銃口を突きつけるのが見えたんです。あの冷たい銃口が顔にあたった感触は今でも忘れられません。いくら歯を噛みしめても、歯の根があわないんです」

引用元:news-postseven.com

当然兵士の銃はおもちゃなんかではありません。逆らった瞬間に何の迷いもなく引き金を引くのです。

戦争と言うものは全ての人を狂わせるものです。

戦場では、やらなければ自分がやられる。

現代は平成ですが、平成の前の時代の昭和にはこんな恐ろしい事が繰り広げられていたのです。

そして宝田少年は下腹部を銃で撃たれた経験もあるそうなのです。

〈宝田にはソ連兵に下腹部を撃たれた傷跡もある。敗戦後、貨車で連行される日本兵を遠巻きに見ていた際、突然、ソ連兵に銃撃されたという。後に分かったことだが、ソ連兵が使用していた銃弾は、通称“ダムダム弾”と呼ばれ、現在、人道上の見地から使用禁止となっているものだった。鉛で出来た弾頭が体内に入って砕け散るため、対処が悪いと人間の体を腐らせてしまう。〉
「撃たれた瞬間はわかりませんでした。でも家に帰ると、突然下腹部が熱くて熱くてたまらなくなった。服を脱ぐと、下腹部が血だらけの真っ赤っかなんです。
 翌日、ひげの生えた元軍医さんがやってきて、僕の両手両足をイカを干すみたいに天井から縛り、『お母さん、裁ちばさみを焼いて持ってきてください』というんです。元軍医さんは、その裁ちばさみをぶすっと刺して、患部をじょきじょき裂き始めた。当然麻酔なしですから、もう失神寸前でした」

引用元:news-postseven.com

通常弾丸は人体にあたると貫通する事が多いのですが、ダムダム弾というのはわざと体内に留めさせダメージを大きくするために傘状に広がる非人道的な弾丸です。

そんな弾丸を摘出するのに麻酔無し・・・・

生き残る為とはいえ、これはもう拷問以上の激痛だったはず・・・

麻酔が無かったと言う事は、消毒薬や抗生剤などもその時あったのか不明ですが、申し訳程度しかなかったはずです。

おそらく大人でも耐えられない程の激痛を小学生の宝田少年が痛みに耐え生き残る事が出来たのは奇跡的な事です。

その後何とか満州を脱出し日本の地を踏む事が出来たそうです。

そして19歳の時に東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタートさせゴジラをはじめ、映画やドラマや舞台に大活躍する事になるのです。

宝田明満州での壮絶体験まとめ

今まさに平成の時代が終わり新たな年号へと変わってゆきます。

戦争とは無関係な時代の平成しか知らない方は、昭和という時代は遠い昔の話と思うかもしれません。

しかし現在80歳代の方には宝田明さんのように幼少期を満州で過し、命かながら日本に帰国した経験をお持ちの方は多いはずです。

時代が変わるこのタイミングで昭和と言う時代があった事、満州という虚像のような国で、はかなく散っていった数多くの魂があった事を思いだし、平和で新しい時代を迎えてほしいと思います。

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