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元猿岩石、森脇和成の出世番組「進め!電波少年」ってどんな番組だった?

今では司会の大御所となりつつある有吉弘行さ
んですが、元はと言えば猿岩石というお笑いコ
ンビで、相方が最近芸能界に復帰してきた森脇
和成さんでした。

猿岩石は進め!電波少年のオーディションで事
前説明一切無しで「今から中国に渡ってユーラ
シア大陸を横断してロンドンがゴールの企画を
始める」と今考えてもむちゃくちゃ、想定外、
番組構成常識外な企画が進め!電波少年の特徴
でした。

このユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画によ
り猿岩石の人気は急上昇。

進め!電波少年も大人気番組として成長。

猿岩石は出発時は誰もが知らない売れない芸
人、ゴール時には誰もが知ってる超有名コン
ビとなりました。

そんな一時代を築いた進め!電波少年とはど
の様な番組だったのでしょうか。

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目次

猿岩石

共に広島出身の幼馴染でコンビ名猿岩石を結成
し上京。

進め!電波少年のオーディションで半年間のス
ケジュールがガラ空きだった為選ばれ香港に連
れて行かれユーラシア大陸横断ヒッチハイクを
スタート。

手持ちの10万円はすぐに底をつき、現地でアル
バイトをしながら食費、交通費などを稼ぎヒッ
チハイクで西へ西へと進んで行き、6か月でゴ
ール地点ロンドンに到着。

猿岩石は人気絶頂となり、ヒッチハイクを記し
た書籍『猿岩石日記』がベストセラーになり、
元チェッカーズの藤井兄弟提供の「白い雲の
ように」も大ヒット。

出発前給料5万円から一気に最高月給2000万
にまでなった。

しかし次第にレギュラーも減っていき2004年
に猿岩石は解散することとなる。

有吉弘行さんはピン芸人、森脇和成さんは芸
能界を引退し事業家へとそれぞれの道を歩ん
でいく事となったのです。

進め!電波少年

進め!電波少年は1992年から1998年まで日本
テレビの日曜22時半から22時54分までの番組
で松村邦洋さん松本明子さん司会進行で現在
では伝説の番組となっています。

番組開始当初の人気企画はアポなし企画で様々
な人に事前アポ無で様々な無茶を敢行し成功
しても失敗しても映像として流すのは斬新的
だった。

政治家、大統領、マフィアのボス、暴力団事
務所、チーマー、芸能人などに松村邦洋さん
や松本明子さんが突入するものでしたが、
ぼこぼこにされたり危険なロケが多かったこ
ともあり、なにかとお騒がせ番組だった。

番組がどんどん過激に、危険になっていく中始
まった企画がヒッチハイク企画だったのです。

猿岩石のユーラシア大陸横断がゴール後すぐに
南北アメリカ大陸横断ヒッチハイク企画では同
じくお笑いコンビドロンズが、
アフリカ、ヨーロッパ横断ヒッチハイクを俳優
の伊藤高史と香港のDJチューヤンの急造コンビ
朋友が続け、ヒッチハイク企画がメインの人気
企画となっていきました。

この進め!電波少年は番組スタッフが凄い人た
ちでした。

プロデューサーがTプロデューサーこと土屋敏
男さん。

ロケではダースベイダーのあの曲に合わせ登場
し無理難題な企画を告げ、目隠しをさせ目的地
まで連れて行き目隠しを外させてから企画スタ
ートなどが多かったですね。

土屋さんの企画は「天才・たけしの元気が出る
テレビ!!」で師弟関係にあったテリー伊藤さ
んの影響が大きかったようです。

元気が出るテレビから電波少年への流れが何と
なくわかりますよね。

構成では映画「おくりびと」の脚本やラジオの
パーソナリティーでおなじみの小山薫堂さん。

土屋プロデューサーと同じテリー伊藤さんに
師事していたそーたにさんやおちまさとさん
など個性ある作家さんたちが作り上げた
進め!電波少年は伝説の番組としていまでも
語りつがれているのです。

森脇和成

そんな元猿岩石の森脇和成さんはコンビ解散
後結婚、離婚を経験しお子さんもいるようで
す。

ホストクラブの経営や会社員、時計販売など
職業を転々としていたようです。

7月のしくじり先生ではサラリーマンを辞め
ると宣言、辺見マリが経営する
「HENMI PROMOTION」に所属するに至り、
27日の「踊るさんま御殿!!」で本格復帰する

ピン芸人で仕事もなくなりながらも地獄から這
い上がってきた有吉弘行さんとは違い、飽きっ
ぽくその場しのぎで今まで生きてきた森脇和成
さんに対しては様々な意見があるようだ。

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