F1懐かしのナニー二の甥マッテオの名前で区切る所間違えるとヤバすぎる!

F1ではミナルディとベネトンで5シーズンを戦い、1989年の日本GPでは表彰台の頂点に上がったイタリア人ドライバー、アレッサンドロ・ナニーニ。彼の甥であるマッテオ・ナニーニが、2020年はFIA F3にステップアップする。

 マッテオは昨年シングルシーターレースにデビュー。ヤス・マリーナ・サーキットなどを中心に行なわれるUAE F4に参戦し、チャンピオンを獲得した。さらにフォーミュラ・リージョナル欧州選手権やフォーミュラ・ルノー・ユーロカップにも参戦し、入賞を記録している。
 そんなマッテオがFIA F3で所属するチームはイェンツァー・モータースポーツ。イェンツァーは昨年角田裕穀が所属したチームだ。
「FIA F3選手権に参戦できることを嬉しく思っている。イェンツァーという素晴らしいチームで僕のレースキャリアを送れることを楽しみにしている」とマッテオは語った。
「この選手権のレベルは非常に高い。そしてほとんどのトラックが僕にとって初めてのものだ。でも僕はその中でも上手くやれる自信がある」
 イェンツァーは昨年、優勝1回と3度の表彰台フィニッシュを記録し、チームランキング7位となったが、その全ポイントは角田が稼いだものである。
 2020年のFIA F3の開幕ラウンドは、バーレーン・インターナショナル・サーキットで3月20日~3月22日に行なわれる。

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200204-00000008-msportcom-moto

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目次

名前を区切る所間違えるとヤバイ!!

マッテオ・ナニーニ・・・

名前区切る所間違えると超絶面白くてヤバイよね。

マッテオナニー二!!

マッテオ・ナニー二

待ってって言われてもね・・・

手品―にゃ!みたいなwww

F1には二世や甥が多数

モータースポーツでは期待される二世レーサーが沢山います。

ミハエル・シューマッハーの息子のミック・シューマッハ―

ジャン・アレジとゴクミの息子のジュリアーノ・アレジ

ネルソン・ピケの息子のペドロ・ピケ

これら3名は2020FIA F2に参戦します。

80年代から90年代にかけてF1界で大活躍した偉大な父の後を追いF1にたどり着く為に頂点をめざし戦います。

これ以外にも

ヨス・フェルスタッペンの息子のマックス・フェルスタッペン

中嶋悟の息子中嶋一貴

グラハム・ヒルの息子のデーモン・ヒル

ジル・ヴィルヌーヴの息子のジャック・ヴィルヌーヴ

など大活躍の2世ドライバーは沢山います。

又、父ではないが、伯父をルーツに持つドライバーも多くいます。

アイルトン・セナの甥のブルーノ・セナ

ゲルハルト・ベルガ―の甥のルーカス・アウアー

そして、アイルトン・セナやゲルハルト・ベルガ―と現役時代競い合ったライバルのアレッサンドロ・ナニー二の甥のマッテオ・ナニーニが2020FIA F3からエントリーするのです。

アメリカNBAのスーパースターのコービー・ブライアントがヘリコプター事故で愛娘と共に亡くなったのは全世界に悲しい出来事でしたが、マッテオ・ナニーニの叔父アレッサンドロ・ナニー二も悲運の事故で一命は取り留めたものの、F1から引退する事になったのです。

アレッサンドロ・ナニー二経歴

出身は現在も住み続けているイタリアのシエナ

実家は老舗菓子店「ナニーニ」の長男

姉は歌手のジャンナ・ナニーニ

 
 
 
 
 
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イタリア国内のレースで優秀な成績を納めたアレッサンドロ・ナニー二は1982年F2のイタリアのチームミナルディからエントリー。

このミナルディは現在のアルファタウリ(トロロッソ)の前身にあたります。

1986年ミナルディチームからF1デビューもマシンの信頼性がなく、10戦連続を含む14回のリタイヤで完走1回のさんざんなF1デビュー

1987年も同じミナルディチームから参戦。チームメイトは新人エイドリアン・カンポス

このエイドリアン・カンポスは現F2・F3のカンポス・レーシングチーム代表。

この年もマシンの信頼性に苦しみ3回の完走でミナルディの2年間でたったの4回しか完走できませんでしたが、翌1988年はトップチームのベネトン移籍が決定。

 
 
 
 
 
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アレッサンドロ・ナニー二飛躍のマシン、ベネトン B188は歴代F1マシンの中で最もド派手な原色だらけのカラーリング

完走こそ少なかったのですが、予選やレースで随所にひかる走りを見せたことがベネトン移籍へとつながったようです。

1988年は地元イタリアのサンマリノGPで6位初入賞するとイギリスGP3位初表彰台など計12ポイントを獲得しランキング10位となり、一歩ずつトップドライバーの階段を駆け上がっていました。

この年のチームメイトのティエリー・ブーツェンに成績では負けましたが、思いっきり地味な顔と性格のブーツェンはド派手なベネトンのマシンとスーツが思いっきりミスマッチでしたが、濃い顔のアレッサンドロ・ナニー二は派手なベネトンのカラーリングがとてもマッチしていてかっこよかったですよね。

翌1989年は自身最高の年を迎えます。

二年目のベネトンのエースドライバーとなったアレッサンドロ・ナニー二は序盤戦から安定した成績を残していました。

因縁の間柄マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとアラン・プロストのチャンピオン争いが佳境に達した日本GPの最終シケインで両者が絡みストップし、何とか再出発出来たアイルトン・セナが1位でゴールしたが、シケイン不通過で失格となり、2位でゴールしたアレッサンドロ・ナニー二が繰り上げ初優勝。

この年ドライバーランキング6位で締めくくり、トップドライバーの仲間入りを果たし、来年以降の更なる躍進が期待されていました。

アレッサンドロ・ナニー二ヘリコプター事故

1990年もベネトンに残留し、良いレースを重ねるアレッサンドロ・ナニー二に目を付けたのが名門フェラーリ。

イタリアンドライバーなら誰もが憧れるフェラーリが91年のドライバーに引き抜こうと画策も、90年ティレルで華々しい走りを見せるアレジが第一候補ということの不信感と、2年契約ではなく、1年契約提示により憧れのフェラーリ―ドライバーを蹴ることに。

フェラーリ入りを蹴ったイタリア人としてアレッサンドロ・ナニー二は語り継がれています。

90年日本GP直前の10月12日、自家用ヘリコプターが別荘敷地内で着陸に失敗し墜落。

その際に右腕の肘と手首の間を切断。

右腕

ドライバーの命とも言える右腕切断です。

事故現場が別荘で、家族の目の前だったことで、とっさの判断で切断された腕を氷水に冷やしたことで、後縫合手術に成功したそうです。

現在では画像が残っていないようですが、当時のニュース画像では確か、すぐ腕を縫合するのではなく、一度お腹に腕を埋め込んでいた映像をみた記憶があります。

組織を活性化させる為?なのかわかりませんが、思わず

ドラえもんかよ!

とかツッコミ入れたくなるような大変ショッキングな映像でした。

あのヘリコプター事故が無ければもっと勝利数をのばせていたであろうドライバーでした。

その後縫合手術は成功しましたが、もちろん事故前の状態に戻るわけはなく、F1は引退となりました。

やはり右手は完全に縫合している訳でも無く、ハードなハンドリングは無理でしたし、切断により右腕が短くなってしまったと本人が言っていました。

1997年FIA GT選手権への参戦を最後にレーサーを引退。

その後は自身の名を冠した喫茶店チェーンを世界的に展開し、日本にも数店舗「ナニー二」の名が付いた店舗がありました。

その後は地元シエナの議員さんなどを経て現在は地元シエナでのんびりしているようです。

アレッサンドロ・ナニー二現在

若い頃は物凄いイケメンでしたが、60歳にもなるとやはり立派なおじさんですね。

ナニー二はいつでも陽気なイタリアンなので、右腕切断事故後のインタビューで「右手が不自由になったことで困った事は?」の問いに

自分を慰めることができなくなったことかな?

と陽気に答えたそうです。

ナルホド!

ここで甥のマッテオナニー二の名前に見事つながる訳ですね。

マッテオ・ナニー二

2020年FIA F3選手権も楽しみですね。

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