アレックス・ザナルディF1時代の成績は?
アレックス・ザナルディがハンドバイクのイベント中に大型車と衝突事故、病院に緊急搬送されるも“深刻な状態”#supergtxdtm #AlexZanardi https://t.co/qqfI81XWkN
— Motorsport.com日本版 (@MotorsportJP) June 19, 2020
神はどこまでこの男に試練を与え続けるのか?
不屈の闘士がまたも苦境に立たされた。
アレックス・ザナルディのF1時代の成績を確認してみました。
F1時代の名前は「アレッサンドロ・ザナルディ」でしたがアメリカCARTで活躍したときの通称が「アレックス・ザナルディ」だったことから今記事ではアレックス・ザナルディで統一します。
アレックス・ザナルディー事故の詳細
6月19日にイタリアで行われていたハンドサイクルレース中にイタリア・ピエンツァ近郊の公道で、ザナルディは下り勾配の道路で対向車線側にはみ出したところ、向かってきたトラックと衝突したももよう。
イタリアの今日のトップニュース
— 🇮🇹イタリア人ハーフ三姉妹🦅🕊🦉 (@girlsfromrome) June 20, 2020
トスカーナで開催のリレーレースに出場中、カーブでコントロールを失い、トラックの車線に突っ込んでしまった。良くなりますように☘
奇跡か起こるならアレックス・ザナルディさんに起きてほしい♡
イタリアは田舎町に行くほど急カーブ pic.twitter.com/Zm0mz6TWKv
マジか……。現役中に両足を失ったアレックス・ザナルディがハンドバイク競技中に衝突事故に遭い、病院に緊急搬送。深刻な状態にある、と。
— CHIBA (@chibachi00) June 20, 2020
彼を超える不屈の人物は他に見当たらない。なんとか再び戻ってきてほしい。 https://t.co/9eedm2G8CR
アレックス・ザナルディの事故が気になる。不屈の人。どうにか助かって欲しいし、願わくば来年の東京に来て欲しい。
— Yousuke Hirakawa (@yhira0202) June 20, 2020
ハンドバイクレース中の事故ということだが、何故反対車線は規制されていなかったのか?
自転車のロードレースでもコーナーを曲がりきれずコースサイドに激突する事故は度々あり、反対車線は規制されているはず・・・・
一部にはレースではなく、イベント中との報道もあることから反対車線は規制していなかったのかもしれません。
アレックス・ザナルディーとは?
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元F1ドライバーで2度のCARTチャンピオンになり、再びF1に戻るも結果が出ず、再度CARTに戻った2001年CART第16戦の大事故で両足を膝上から切断。
何とか一命は取り留めるが、両足の繊細なアクセルワークとブレーキングが要求されるモータースポーツでは再起不能と思われていた。
しかし不屈の闘士アレックス・ザナルディーは懸命なリハビリを続け、事故から4年後2005年にはWTCC(世界ツーリングカー選手権)で優勝。
両足の代わりにハンドルにアクセルとブレーキの付いた特別仕様車での勝利は多くの人々を勇気つけた。
並行してトレーニングしていたハンドサイクルに本格的に取り組み2012年ロンドンパラリンピック代表に選ばれ、2種目で金、リレーで銀獲得。
2016年リオデジャネイロパラリンピックでも金メダルを獲得し、2大会連続金メダルの偉業を達成。
2020年東京パラリンピックで3大会連続金メダルを目指しトレーニング中の事故でした。
アレックス・ザナルディーF1成績
1991年ジョーダン
3戦出場で0ポイント
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ジョーダン191は赤い皇帝ことミハエル・シューマッハが代役で出走したベルギーGPでデビュー戦いきなり予選7番手を獲得したことでベネトンへ即引き抜かれ、トレードと言う形でベネトンのロベルトモレノがジョーダンへ移籍。
しかしわずか2戦で解雇となり、アレックス・ザナルディが最終3戦(スペイン・日本・オーストラリア)をドライブした。
1992年ミナルディ
3戦出場0ポイント
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1992年はティレルから出走予定であったが、直前にアンドレア・デ・チェザリスにシートを奪われベネトンのテストドライバーに。
ミナルディのレギュラードライバーのクリスチャン・フィッティパルディがクラッシュで欠場することで再び代役として3戦スポット参戦もポイント獲得ならず。
1993年ロータス
12戦出場1ポイント
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この年初めてレギュラーシートを得たロータス。
ロータスと言えばかつて名門中の名門でしたが、1994年にチームが消滅しましたので、末期の低迷期。
アレックス・ザナルディはベルギーGPのクラッシュ負傷でシートを奪われ12戦の出場。
F1唯一のポイントとなりました。
1994年ロータス
8戦出場0ポイント
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1993年の負傷によりそのシートを奪われ、ロータスのテストドライバーとしてシーズンを迎え第5戦よりレギュラードライバーとして8戦出場するもマシンの戦闘力が低く名門ロータスは消滅。
アレックス・ザナルディもF1シートを喪失し、活躍の場をアメリカCARTに移す。
1999年ウイリアムズ
16戦出場0ポイント
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1997年・1998年2年連続CARTチャンピオンとなったアレックス・ザナルディアレックスは再び舞台をF1に求め名門ウイリアムズと2年契約。
しかし名門ウイリアムズが低迷期であり、かつての強さが感じられないマシンに苦しみ、まさかのノーポイント。
結局1年で名門ウイリアムズを離れ失意のままF1の舞台を離れる事に。
アレックス・ザナルディF1時代の成績まとめ
アレックス・ザナルディはF1時代チーム力が落ちた低迷期のチームで走っていたことがF1で成績を納める事が出来なかったようです。
低迷期とはいえあのウイリアムズでノーポイントは自分でもまさかだったはず。
CARTで2年連続チャンピオンになった位ですので、よほどF1時代は自分のドライビングに合わないマシンだったようです。
その後再びCARTに再挑戦も両足切断の大けがを負うも不屈の魂で復活し、WTCC優勝そしてパラリンピックで2大会連続金メダル獲得の偉業を達成した不屈の闘士アレックス・ザナルディ
東京パラリンピックで3大会連続金メダルを取る場面を見るはずだったが、コロナ禍により2020東京パラリンピックが延期されたことにより調整スケジュールが狂い、今回の事故に遭ってしまいました。
何度苦境に立たされても不死鳥のように立ちあがるアレックス・ザナルディ復活を心より願います。