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なでしこジャパン崩壊の中、次期監督が噂されている高倉麻子監督と澤穂希との関係は?

大阪の悲劇

2016年リオデジャネイロオリンピック女子サッカーのなでしこジャパンがアジア最終予選で敗退した。

なでしこジャパンはアテネ、北京、ロンドンと3大会連続オリンピックに出場で前回のロンドンでは悔しい銀メダルで終わっているだけに、リオでは今度こそ世界の頂点を目指していた。

それがなんとアジア予選での敗退である。

まさかまさかの予選敗退には日本のみならず世界も驚いたようだ。

この敗戦により宮間あや選手、大野忍選手など多数のなでしこ黄金期を支えた選手達が代表引退を示唆。

監督の佐々木則夫監督の代表監督辞任も決定的だ。

そんな失意と混乱のなでしこの時期監督に高倉麻子監督が時期なでしこ監督では?と言われています。

高倉麻子監督とは?

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目次

高倉麻子

1968年4月19日(47歳)

福島県出身

身長:163㎝

夫:竹本一彦

現役時代

1981年 ~1984年 FCジンナン
1985年 ~ 1998年 読売ベレーザ
1999年 松下パナソニック バンビーナ
2000年 シリコンバレー・レッドデビルズ
2001年 ~ 2004年 スペランツァF.C.高槻

小学生のころから男子に混じってプレー、この年代だと間違いなく「キャプテン翼」に影響を受けたのでしょうね。

中学、高校と地元福島の学校に入学するが、中学校から東京都リーグのFCジンナンに入部していますので、平日は福島、週末に東京に通う生活を東京の大学に入学するまで続ける根性をお持ちだったのですね。

その後現日テレ・ベレーザに入団し、1989年第1回日本女子サッカーリーグ(現なでしこリーグ)のオープニングゲームで記念すべき初得点を挙げたのが高倉麻子選手でした。

2004年シーズン終了後に現役を引退するまで公式戦出場226試合を記録するなどまさに、なでしこの基礎を創り上げた一人に間違いありません。

日本女子代表として1991年第1回FIFA女子世界選手権 中国大会 出場、1995年第2回FIFA女子世界選手権 スウェーデン大会 ベスト8、 1996年アトランタオリンピック 女子サッカー競技 出場するなど中心選手として活躍。

1991年には中学生でありながら突出した能力を持った女の子が日テレ・ベレーザに入団。

それがレジェンド澤穂希さんでした。

通常中学生は下部組織で実力をつけてから上部組織に昇格するが、当時の日テレ・ベレーザ監督で後の高倉麻子の夫となる竹本一彦監督の判断で1か月でトップチームに引き上げたことにより大きく成長したのです。

二人は共に1998年まで日テレ・ベレーザに所属していました。

高倉麻子監督と澤穂希さんは1996年のアトランタオリンピックにも出場しており、なでしこの魂をしっかりと澤穂希さんに引き継いだのです。

監督時代

2004年の現役引退後はサッカー指導者、および解説者として活躍。

2010年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。

JFA 公認S級コーチライセンスはJリーグおよび日本代表(男子、女子)の監督を務めるために必要な免許の事です。

2013年より2014 FIFA U-17女子ワールドカップを目指すU-16サッカー日本女子代表チーム監督に起用され、2013年10月のAFC U-16女子選手権を制覇してFIFA U-17女子ワールドカップコスタリカ大会への出場権を獲得。

2012年、2013年にアジアサッカー連盟が定める「アジア年間最優秀コーチ(女子の部)」を受賞。

2014年、前年のU-16からU-17に移行したU-17サッカー女子日本代表を率いて2014 FIFA U-17女子ワールドカップに臨み、グループリーグ、決勝トーナメントを無敗で勝ち上がり、決勝戦でスペイン代表に2-0で勝利してU-17女子ワールドカップ初優勝を果たした。

2014年9月より2016 FIFA U-20女子ワールドカップを目指すU-18サッカー女子日本代表監督に就任した。
      出典元ウィキペディア

そして日本中がアジア最終予選の惨敗で意気消沈する中、3月2日から6日までスペインで行われたラ・マンガU-23女子国際大会では監督を務め全3試合を3連勝で終えた。

U-23とはいえそれぞれの国の次期代表候補が集まるこの大会、日本と対戦したノルウェーに4-0、スウェーデンに2-0、ドイツに1-0と世界の強豪相手に勝ちきる強さと失点0はすばらしいの一言です。

高倉麻子監督がなでしこジャパンの監督になり、澤穂希さんがコーチになればわくわくするような期待が持てるチームを創ってくれそうですね。

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